人生の意味と仕事のツールとしてのパソコン
このブログは様々な方が読むブログであるため詳細は省きますが、私は去年の年末から今年の初めにかけて非常にバタバタとした時期でした。
それは私の環境の変化であったりまた親戚に起こった出来事であったりするのですが。
そのような自分の生活や親族の様々な状況を見ていると、自分の人生について考えざるを得ない事が多かった年末年始に思います。
私は今、こうやってパソコンでデザインやプログラミングをして、公私ともにほぼ一日中パソコンを触って仕事をしています。
スマホを使うのは一日数分くらいでしょうか。データへのアクセスビリティを考えるならば物理キーボードの付属するパソコンです。
人間とのコミュニケーションよりもパソコンを触っている時間の方が確実に長いと思います。で、それが楽しいのか? と問われると
ものすごく楽しいですね!
としか言いようがありません。デザインを原稿から読み取り、それを使うクライアント様のことを考えつつデザインやコーディングを行い、プログラミングを行う。
時としてアイディアが出ず七転八倒することや、なかなか自分の思い通りにコーディングのできない時などは冷や汗をかくほどの切迫感に包まれることもありますが、それでもなお楽しい。
なので私はずっと一生でパソコンをカタカタやっていけると楽しいなと、本気で思っています。
人生の目的は何か、などと言う崇高のテーマについて私が述べるべきではないかもしれません。
ただ、人生の目的はわからないしても、それぞれ自分が決めれば良いことだと思うのです。そして、誰にも必ず人生の終わりは存在します。その時に
「ああ、楽しい人生だった」
と、思えるように生きることこそが人生の目的ではないか、と思ったりするのです。
自分の生きる時間軸の終点を考えるが故に、現在をより良くできるのではないか、そんなふうに思ったりします。
人生の目的について、別の願いを望むなら、もっと様々な光景を見たいですね。
今はコロナの状況下であり、なかなか自分の住む県の県外に行く事は難しいですが、このコロナが終焉した暁には様々な光景を見に行こうかと考えています。
別に観光地でなくとも、「今住んでいる以外の場所」に行くこと自体が楽しい。いや、むしろ移動時間こそ楽しいです。
余談ですが、人はなぜまだ見ぬ光景を思い求めるのか、それは人間がアフリカで猿人から発生し、長い長い年月の旅を経て今ここの場所までたどり着きました。
そして、やがて地球も億年単位のスパンで見るならば必ず終焉の時がやってくる、その時に人類が地球外に脱出し、自らの種としての存在を守るために、我々はまだ見ぬ光景を追い求めることをDNAの中に刷り込まれているのではないか、などと言う話を思い出したりもします。
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